リング
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それは空が闇に沈んだ時間にしか営業していないという奇妙な骨董店だった。いや、今の時代なら夜間営業の店は珍しくない。その店が珍しいのは、周囲の店が閉まっているにも関わらず、その界隈で一店だけ夜に店を開けるという点だろう。目的があってその店を探してきた客か、偶然迷い込んできた客以外には目に留まらない。そんな場所で、そんな時間で営業する店だった。
店の名前は流華堂。店内は骨董店としてのスペースよりも、一階部分を半分以上占めている喫茶店としてのスペースの方が大きい。こんな時間に酒を出すでもない店に、果たしてどれほどの客がやってくるものなのだろうか。路地に迷い込んだ客にとっては、一種のオアシスのように映るものなのか。そして私のように、他では見つけることのできなかったものを求める者は、流れに乗って漂う華のように、この店へと行き着くものなのだろうか。
「いらっしゃいませ」
私を迎えた店主は話に聞いていた通り、若い女性のような外見の男性で、日本の着物という民族衣装を纏っていた。喫茶店のカウンター奥にいる店主に、私は骨董品を見たいのだという旨を告げる。すると店主は優雅な足取りでカウンターから出てきて、二階へと伸びている螺旋階段に私を誘った。人が一人ようやく昇れるような幅の螺旋階段を、店主の後に続いて上っていくと、薄暗い二階へと辿り着いた。店主は私に少し待つように言ってから、明かりをつけるために壁際へと迷いなく歩いて行った。
骨董品店、と銘打つには狭いフロアに統一性のあまり感じられない品揃え。明かりがついた直後に私が抱いた印象はそんなものだった。実際、この骨董品店には西洋のもの、東洋のもの、古代のもの、中世のものが雑然と並んでいた。テーブル、書棚などの家具もあれば、オルゴール、絵画の類もある。私にそれらの価値は分かりかねたが、ただひとつ、私が求めていた価値あるものがこの店にあった。
それはすでにこの建物にはめ込まれている、寄木で作られた扉だった。複雑な幾何学模様が、様々な木々の色、木目を使って描かれている。この世に二つとない扉だった。
「この扉……これを探していたんです! 是非これを譲ってください!」
私は扉に駆け寄って、その木目を撫でながら店主を見た。店主は喜色を面に浮かべた私を見て、困ったように表情を曇らせる。
「……申し訳ありませんが、それは売り物ではありませんので」
そう言われることは何となく予想していた。何せこの扉はすでに店と一体化してしまっていて、売り物ではなく店主が気に入って取り付けたと考える方が自然だからだ。
「いくらでも、そちらの言い値を払います! どうかお願いします」
正直言えば、いくら一点物の骨董品とはいえさほどの価値はないはずの扉だ。こう提案したとしても、さほど法外な値段がふっかけられるとは思わなかったし、いくら気に入っているといってもその価値を大きく上回る値段を提示されれば店主は簡単に折れると思ったのだ。だが私の予想に反して、店主はこの扉にいたく執着している――その点では私も同じだが――ようで、私の条件の良い提案に対しても困惑の表情を改めなかった。
「困りましたね……。これは本当に売り物ではないんです。まだある方からお預かりしているだけで、当店の品ではありません。ですから、お売りすることはできないんです」
それは下手な言い訳だと私には思えた。こうして店の一部と化してしまっているようなものを預かっているだけと証するのは。だが私はそれを追及せずに、もっと別な形で迫ろうと言い募った。
「ではその持ち主の方と直接お話をさせて下さい」
私は食い下がったけれど、柔和な顔をして中身の頑固な店主は顧客の情報を安易に渡すことは出来かねると言って、とうとう首を縦には振らなかった。
だがそう簡単に諦められるものではない。私は諦めたふりをして一旦店を出てホテルに戻り、そのまま夜が明けるのを待った。どれだけ探したか。あれさえ手に入れば、息子は救われる。あれにはそれほどの価値があるのだ。
昼間に来てみても、この店の周囲には何の変化もないように思えた。夜だから閉店しているのかと思っていた周囲の商店は、昼も営業している様子がない。私は狭い路地を最初右に曲がり、そしてすぐに左へ曲がった。路地の先にはあの店がある。今は営業時間を終えて、前面のガラス窓にはブラインドが下ろされている。そして夜は店の前に出ていた看板も店の中にしまわれてしまっているようだ。
私は店の正面扉の前に立った。昨晩入った時に気付いていたが、ここの店は防犯というものに一切気を使っていない。私にとっては好都合だったが、この時代に無用心すぎると言えばそうだろう。私は懐から取り出した小型の爆弾を使って扉の鍵を破壊した。それは消音性に優れた爆弾で、昨今は一般家庭でもこの爆弾程度では壊れない扉を使用しているはずだ。だが前時代の遺物、ともいえるこの店の扉は、あっけなく壊れて私を店の中へ通した。
店内はブラインドを閉めているせいもあって、昼だというのに薄暗い。私は足音を忍ばせながら入って右手にある螺旋階段を一段一段上った。二階に上がるとすぐにフローリングの床が軋んだ音を立てたが、私は慌てなかった。より慎重に足音を顰めてあの扉へと近づく。
私は扉の前で跪いた。扉を彩る幾何学的な組木は、その中央だけが窪んでいる。私はこの扉を買い取ると店主に言ったが、本当に欲しいのはこの扉自体ではなかった。壁と一体化した状態では分かりづらいが、この扉は通常の扉に比べて分厚い。私に必要なのはその厚みなのだ。
私は周囲の音に耳を配りながらも、中央の窪みに向かって下から真っ直ぐに伸びている組木を親指で上へ押し上げた。多少力を要するものの、木は窪みへ向けて静かに動く。そしてずれた組木の隙間へ向かって、今度は右の木をスライドさせる。そうやって私は彼女と共に何度も反復して覚えたパズルを解いていった。
一度も操作に迷うことはなかった。私は必要最低限の時間をかけて、パズルを解いたのだ。高鳴る胸を抑えて、私は解除された組木の小窓を開けた。そこにあるものさえ手に入れば、この扉になんて用はない。さっさとこの店を抜けて、指輪を息子に渡さなければ。だが小窓を開けて、その中の空洞部分に私が見たもの。それはただの木の小部屋だけだった。
「……ない。何故だ? まさか、誰かが先に開けて……」
あの店主、この仕掛けに気付いていたのだ。血が一気に頭に上った。何てことだ。ではすでにあれを売ってしまった可能性だってある。それでは困る。あれが最後の頼みの綱だったのだ。私の過去の栄光の遺産が――。
「やはり、いらっしゃると思っていましたよ」
その声に慄然として私は振り向いた。階段を上ってくる足音は少しも耳に届かなかった。まるで幽霊のように、あの美貌の店主が私の後ろに立っていた。私は立ち上がって扉から離れた。店主は昨晩とは別の着物を羽織っていて、物音に気付いて起きてきたというような雰囲気は微塵も感じられなかった。
「あ、昼は眠っているはずでは……」
そう噂で聞いていたからこそ、こうして昼間に忍び込んできたのだ。さほど音を立てなければ、気付かれることもないだろうと踏んで。だが店主は起きていた。私が昨夜しつこく迫ったから、昼に忍び込んで来ることを予想していたのだろうか。そう考えた私に対して、店主は白い手を胸にあててゆるりと微笑んだ。
「眠っていますよ、彼は」
「彼? 君は、君達は双子なのか?」
私の問いに、店主は肯定も否定も返さなかった。超然とした態度を崩さすに、店主は首を傾げて言う。
「困った方ですね。勝手に店に忍び込むなんて」
そう言うが、すぐに市警を呼ぼうとは思っていないようだ。私は懐から消音効果付きの銃を取り出し、扉へと近づく店主へ向けた。
「市警は呼ぶな。大人しく答えるんだ。ここに入っていたものをどこへやった?」
銃口を向けられても、店主は扉へ近づく足を止めようとしない。
「さて、どこへと言われても困ります。お返ししたのですよ、持ち主本人に」
それは昨晩言っていたこの扉の預け主のことだろうか。そんなはずはないのだ。私はこの扉が元の家が壊された後すぐにこの骨董品店へ行ったことを知っている。間に誰も所有者など入り込まなかったことを。
「持ち主は私だ。ここに入っていたものは、私の物だった!」
「さて、貴方が何と言おうと、僕には判断できません」
緊張感もなく、店主はのらりくらりと私の主張を受け流した。
「君はこの扉の開け方を知っていたのか?」
「いいえ」
「私は知っている。この扉が私のものだからだ」
今度の主張にはなるほど、と店主は頷いてみせた。
「では鍵は?」
「鍵?」
「この扉本体を開ける鍵はお持ちですか?」
何だと? この扉を使っているくせに、店主は鍵を持っていないというのだろうか。私だって、この扉の所有者であったことはないのだから、鍵など持っているはずがない。
「それは……その中に入っているはずだったんだ。だから私は……」
咄嗟に嘘をつくと、店主は途中で口を挟んだ。
「お互い嘘はよくありませんね、話をややこしくするだけのようです。……手札を見せましょう。その中に入っていたものはこの指輪で、扉の鍵ではありません」
店主の細い手から現れたのは、見間違いようもない、私の探していた指輪だった。シルバーのリングと台座にちりばめられた小粒のダイアモンド。だがそんなものは価値のない屑だ。私に必要なものはその台座に納まった大粒のサファイア。ただ大きいだけではない。それはスター・サファイアと呼ばれる特別な宝石だった。深い青の石の中心から周囲にかけて、六条の白い線が星のように伸びている。
「持っていたのか……それをよこせ! それは私の物だ」
私が手を差し出せば、店主は指輪ごと手を引く。
「貴方も手札を見せてくれなければ」
苛々した。通報されないだけましかもしれないが、こんなところで押し問答している余裕はないのだ。
「馬鹿を言うな。脅しじゃあないぞ、寄こせ。その指輪があれば、息子は救われる!」
私は見せ付けるようにして拳銃を揺らした。だが店主は強情だ。それでも指輪を差し出そうとはしない。
「これは確かに貴方の物でした。貴方がある女性にあげるまでは」
言われたとたんにある女の顔が脳裏に浮かんで、背筋が冷たくなった。
「な、何だと?」
「今も彼女のものです。彼女が貴方に返さない限りは」
「返さない限りは……だと? 馬鹿馬鹿しい! そんなこと……」
出来るわけがないだろう。そう思った私と、それを聞いていたかのようなタイミングで答える店主。
「出来るわけがない?」
不気味だ。この男は何をどこまで知っている? そうだ、出来るわけがないのだ。彼女は死んだ。もうこの世にはいないのだから、例え生前彼女の持ち物だったとしても、彼女自身が私にこの指輪を返すことはできないのだ。そんなこと、私が一番良く知っている。
「指輪をお返ししましょう。それが、僕がこの扉を譲り受けるために必要な条件ですから」
「わ、分かればいいんだ。さぁ、指輪を……」
私は手を伸ばしたが、店主はそのまま指輪を私の手に乗せようとはしなかった。こちらが銃を構えたままなのを警戒しているのだろうか。店主は私が先程空けた小窓に、その指輪を納めたのだ。
「どうぞ。ご自分でお取り下さい」
そう言って店主は扉から離れた。私は店主へ向けた銃口を逸らさないように気を付けながら、扉へと近づいた。空いている手を伸ばし、視線を店主へと向けたまま私は小窓に入れられた指輪を掴んだ。
「ひぃっ!」
とたんに私は指輪を床に叩き落してしまった。指輪を掴んだ。店主が小窓に置いたものは指輪しかなかったのだから、私が掴んだものは指輪のはずだった。
「どうなさいました?」
だが違う。私が掴み、そして床に叩き落したのは指輪だけではなかったのだ。
「ゆ、指が……」
青のマニキュアを塗った爪を持つ指が、指輪を嵌めている。手はない。指一本だけだ。まるで食い千切られたかのような断面で、白い骨が肉からはみ出ている。それが薬指であるということが私には分かった。彼女の左手の薬指であるということが。
「お取りなさい。彼女は貴方にその指輪を返すつもりなのですよ。貴方が嵌めた指から、貴方自身に抜き取って欲しいと思っている。その通りになさい。指輪が欲しければ」
そんな馬鹿な、とか、こんなものは幻覚に違いない、とか頭に去来した思いはたくさんあった。だが私はどの言葉も口にすることはできなかった。その指は確かに存在し、そして動いたのだ。蛆虫のように床を這ったと思ったら、指は私の服の裾を引っ掛けてぐいと引っ張った。
強烈な力だった。私はあらゆることにショックを受けて、その場に腰を落としてしまった。
「は、離せ!」
私は鉤爪のように指を曲げて、服の裾を引っ掛けて離さないそれから、何とか指輪を抜き取ろうとした。だが骨の見えている方向へ押し出そうとしても指輪は動かない。そして爪の方から抜き取ろうとしても、肝心の指が服から離れないのだ。
「どうしました? 指輪を抜き取ればいいでしょう?」
分かっている、分かっている。これは彼女の指だ。昔、私が一生遊んでも使い切れないほどの金にまみれていた頃、結婚の約束と共に彼女へと送った指輪。彼女はそれを薬指に嵌めて、これで約束は確実に成就されると微笑んだ。
だが約束は成就されなかった。私は有り余るほどの金をさらに増やすために、別の企業との合併を兼ねてそこの社長の一人娘と結婚した。彼女にやった指輪など惜しくなかった。だが全ては2年前に崩壊した。立宮グループが、私の財産を少しずつ押さえ、私は一生遊んでいけるはずだった金を失った。そんな矢先だ。一人息子が発病したのは。遺伝操作をして産まれた子供の千人に一人が発病すると言われる原因不明、治療困難な時限爆弾のような病。治してやりたい。たった一人の大切な息子だ。だが金がない。
そんな私の頭に浮かんだのが、かつての恋人に贈ったスター・サファイアだった。もともと埋蔵量が限られていた上に、海面上昇によって水没が相次いだこの世界で、新たな大粒の宝石というのはなかなか産出されない。だからすでに掘り出されている宝石に価値がつくのは当然だ。あのスター・サファイアならば――。
指輪など惜しくないと思っていた私が、今度は必死になってあの指輪を追った。正確には、その指輪の持ち主であった彼女を。そして私は辿り着いた。この扉に。
彼女は私が今の妻と結婚した後すぐに自殺していた。彼女の実家にあったこの扉の前で、左手の薬指を自ら噛み切り、その指ごとこの小部屋に収め、それから扉のノブを使って首を吊って死んだのだ。私はその奇妙な扉を、彼女と何度か開けていた。それを覚えていたのは幸福だ。そう思った。だが彼女の死後、彼女の両親もまた死に、扉のあった家は取り壊され、扉だけがこの店へと辿り着いた。ようやく追いついたと思ったのだ。噛み切られた指は白骨化していておかしくない年月が過ぎていた。指輪は私の元へ戻ってくる。そして私はその指輪を売った金で、息子を助けることができるはずだった。
「む、無理だ。力が、力が強すぎて……」
その時鍵のかかっているはずの扉が音を立てて開いた。開かれた扉の先に私が見たものは、深い闇。夜の闇とは違う。何も見えない。まるで扉の先をすっぽりと闇で切り取ったかのように。こちらの部屋の淡い昼の光さえ、その闇は通さない。私がそこに見たものは、真っ暗な恐怖だ。指はその一本で、私を闇に引きずり込もうとしている。
凄まじい力だ。私はずるりずるりと闇に引き寄せられていく。思わず体を反転させて、フローリングの床に爪を立てた。だがそれも空しく、指は益々力を込めて私を引き摺る。
「た、助けてくれ。助けてくれぇ!」
私は手を伸ばした。見上げた先には闇とは対照的な光を放つ店主が立っている。こんな時だというのに、私はその姿に見惚れた。天使のようだ。そのアルカイックな微笑み、人では有り得ないほどに完璧に整った顔立ち。まるで熱を感じさせない、白い肌。そして――。
「冗談じゃあない」
感情の見えない、冷たい声。慈悲など微塵も感じ取れない、完璧に作られた笑顔。その顔を見た瞬間に、私は叫んでも足掻いても無駄だということを理解した。千切れた指一本で、私は扉の奥の闇に引き込まれる。天使に向かって伸ばした手は空しく宙を掻き、私はいずこへ繋がっているかも知れない闇の中へ落ちていった。